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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)13561号 判決

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一○月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を、被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告に対し、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞の各全国版社会面及び被告株式会社文藝春秋発行の月刊「文藝春秋」誌上に、見出し、記名及び宛名は各一四ポイント活字をもって、その余の部分は各八ポイント活字をもって、各新聞について三段ぬき七センチ幅の大きさで、月刊「文藝春秋」については一頁の大きさで、それぞれ別紙記載の謝罪広告を各一回掲載せよ。

3  訴訟費用は、被告らの負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、輸入雑貨の販売等を目的とする株式会社フルハムロードの代表取締役である。

(二) 被告株式会社文藝春秋(以下「被告会社」という。)は、書籍の出版販売を目的とする会社であり、雑誌「EMMA」(以下「EMMA」という。)を発行販売していたが、被告松尾秀助(以下「被告松尾」という。)は「EMMA」の編集人であり、被告鈴木琢二(以下「被告鈴木」という。)は「EMMA」の発行人であった。昭和六〇年当時、「EMMA」は月に二回発行され、一回発行につき売上高は約一億二二〇〇万円であった。

2  被告らの不法行為

(一) 被告らは、「EMMA」昭和六〇年一〇月一〇日号(以下「本件雑誌」という。)三〇頁に原告に無断で原告の全裸写真(以下「本件写真」という。)をその性器部分を無修整のまま掲載し、遅くとも昭和六〇年一〇月一〇日までに本件雑誌を全国各地に約四三万八〇〇〇部販売頒布した。

(二) 文明社会においては、人は自己の性器・裸体を衣服等で覆って生活しているのであって、自己の性器、裸体を公衆の目にさらされることがないことは、人がみだりに容貌、容姿を撮影、公表されない権利に比べて、より基本的な人格的権利であるところ、原告は、被告らが本件写真を性器を無修整のまま本件雑誌に掲載したことによって、右権利を侵害された。

(三) 被告会社の被用者である被告松尾及び同鈴木がその職務を執行するにつき本件写真を本件雑誌に掲載したことにより、原告は後記3記載の損害を蒙ったのであるから、被告会社は、右両名の使用者として原告に対して右損害の賠償義務を負うものである。

3  原告の損害

(一) 原告は、被告らの右全裸写真の掲載と頒布によって、著しく羞恥心を害せられ、精神的に回復困難な打撃を蒙るとともに、原告の社会的評価は金銭賠償のみによっては回復することができない程に低下した。他方、被告会社は、原告についての特集記事に本件写真を掲載することによって莫大な利益を得た。

(二) そこで原告の右精神的苦痛を慰謝すべき金額は、少なくとも金一〇〇〇万円を下らず、また原告の社会的評価の低下を回復するためには、被告らをして、請求の趣旨第2項記載の謝罪広告をなさしめる必要がある。

4  よって、原告は、被告会社に対しては選択的に民法七〇九条若しくは同法七一五条に基づき、被告松尾及び被告鈴木に対しては民法七〇九条、七一九条に基づき、各自、損害金のうち金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年一〇月一〇日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるとともに、被告らに対し、原告の社会的評価の回復のために必要な処分として請求の趣旨第2項記載のとおり、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞の各全国版社会面及び被告株式会社文藝春秋発行の月刊「文藝春秋」誌上に、別紙記載の謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの反論

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2の(一)の事実のうち原告に無断であるとの点は否認し、その余の事実は認める。

(二)  同2の(二)の事実は否認する。

(三)  同2の(三)の事実のうち、被告松尾及び被告鈴木が被告会社の被用者であること、本件写真の掲載が被告会社の職務の執行として行われたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  請求原因3の事実は否認する。

4  被告らの反論

(一) 本件写真の掲載は、肖像権及びプライバシー権侵害の要件を充足しない。

肖像権は、プライバシー権に包摂される権利であるから、本件写真の掲載について肖像権侵害の不法行為が成立するためにはプライバシー権侵害の要件を充足しなければならない。ところで、プライバシー権侵害による不法行為が成立するのは、公開された内容が私生活上の事実又はそれらしく受け取られるおそれのある事柄で、一般人の感受性を基準として公開を欲せず、一般人に未知の事柄であって、被害者が公開により不快、不安の念を覚えるという場合である。しかし、本件では、以下のとおりこれらの要件を充たしていない。

(1) 私生活上の事実といえるかどうかについて

ある事実の公表においてそれが私生活上の事実であるかどうかは、次の点から判断すべきである。

ア 個人の私的な生活・習癖、行為、交友関係は私的情報といいうるが、当該個人が社会の中でどのようなステイタスを占めるかということからその情報が私的なままであるかパブリックなものになるかが決まるものであるところ、原告のステイタスは、後記のように著名人であるというべきであるから、その行動は当然パブリックである。

イ 公衆の目に留まる場所で生じ、知得されたものであれば私的事実とは言えないところ、本件写真は、原告が、本来私生活を営む場所でない他人所有のマンションで昭和五八年四月一六日に開催されたいわゆるスワッピングパーティ(以下、「本件パーティ」という。)に参加していた際に撮影されたのであるから、私生活上の事実とは言えない。

ウ 最も親密な人々との間でのみ共有し、それ以外の人々とは分かち合わない行動や感情が私生活上の事実であるところ、原告が交流をもったのは同好者とはいえ多数の行きずりの男女であるから、最も親密な人々とは言えず、到底私生活上の事実とはいえない。

また、そもそもプライバシー権が表現の自由に対抗しその自重を強いるに適しい権利として法的保障を受ける資格を得るためには、日常的で、平穏で親密な反倫理的でない私生活だけがその対象となるというべきところ、本件写真が撮影された際の原告の行動は、放埒で無軌道で非日常的で反倫理的なものであるから、私生活上の事実としてプライバシー権の保護に値しないものである。

(2) 一般人の感受性を基準として公開を欲しないか、公開により不快の念を覚えるかどうかについて

原告は自ら乱交パーティに参加し、積極的に反倫理的な行動をして、カメラマンの向けるカメラに余裕をもってポーズを取っているのであるから、公開を欲しないとはいえない。さらに原告は、原告自身の緊縛裸像のカラー写真を雑誌「ブルータス」昭和六〇年一一月一日号(以下「ブルータス」という。)に掲載していることからすると、本件写真の公開によって不快の念を覚えることはない筈である。

(3) 一般人に未知な事実かどうかについて

本件写真が「EMMA」に掲載されたのは昭和六〇年一〇月一〇日であるが、本件写真はそもそも雑誌「週刊大衆」(以下「週刊大衆」という。)の昭和五九年二月二〇日号に初めて掲載されたもので、以来本件雑誌に掲載されるまでの八か月の間に他の雑誌にも多数回掲載され、国民の大多数は本件写真を目にしている。したがって本件写真が本件雑誌に掲載された時点では既に公知の事実となっていたのであるから、一般人に未知な事実とはいえない。尤も本件写真は「週刊大衆」に掲載されたものと異なり無修整であるが、本件写真の全体像には全く変化はないから、その公知性に差異はない。

(二) 原告の性器露出と肖像権の関連について

本件写真の出典である右「週刊大衆」の写真は原告の性器について修整を施して掲載されている。両者には修整の有無という相違はあるが、そもそも性器部分は、それのみで独自の肖像権を有するわけではなく、肖像の一構成部分にすぎないものである。肖像権の判断にあたっては当該写真の持つ説明的概念こそが重要であるから、両者は、修整の有無による感銘力の差こそあれ、その説明的概念に差異はなく、写真としての肖像性は同一である。すなわち、本件写真については、その一部である性器部分の修整の有無は肖像権侵害とは無関係である。したがって右週刊大衆に本件写真が掲載されたことが原告の肖像権の侵害にならない以上、本件雑誌に本件写真を掲載しても原告の肖像権を侵害するものではない。

三  抗弁

1  本件写真の公表についての原告の承諾

本件写真は、「週刊大衆」と契約関係にあるレポーター柳沢功二(以下「柳沢」という。)が、昭和五八年四月一六日に開催されたオレンジパーティーと称する本件パーティーにおいて原告を撮影したものであるところ、原告は、同人がカメラを携帯した雑誌記者であることを知りながら、掲載雑誌の確認をしないまま同人のカメラに向かって積極的にポーズをとったのであるから、同人が本件写真を撮影し及び本件写真が雑誌に掲載されることを明示的に承諾したものである。

仮に、原告が週刊大衆に掲載されることは承諾していなかったとしても、オレンジパーティーの情報誌であるオレンジピープルに掲載されることは承諾していたのであるから、結局一般人の目に触れる可能性のある雑誌への公表を承諾したというべきである。また、原告はその公表方法について性器を修整するように限定した訳ではなかった。

2  著名人の法理

(一) 自己の業績、名声又は生活方法により、もしくは、自己の行為又は性格に対して公衆が興味をもつことが至当とされるような職業を選択した者は著名人になった者と言われ、自己のもつプライバシーの権利の一部を失う、即ち、この範囲においてプライバシーの権利が制限されるものと言わなければならない。即ち著名人は自らそれを求めた以上、自己に関する記事の公表に同意したものと見なされるべきであり、その社会的地位が公的なものになった以上、私的なものと考えることができないと言うべきである。

(二) いわゆる三浦事件、すなわち原告が亡先妻一美(以下「一美」という。)に掛けた保険金一億数千万円の取得を目的として一美を殺害したのではないかという趣旨の「疑惑の銃弾」と題する記事が被告会社によってその発行にかかる週刊「文春」誌上に連載されて以来、原告は、連日のように各種マスコミから取材を受け、一時は原告の顔がテレビに放映されない日がなかったほどであり、現在は、右殺人未遂事件の被告人として控訴審の審理を受けるとともに、同殺人既遂事件の被告人として第一審の審理を受けている。ゆえに、国民の大多数は原告の容貌・容姿を強く印象付けられており、原告の行動や性格についての情報に何らかの興味ないし知識を有していたもので、まさにマスコミ社会において卓越した知名度を有していた。しかも、原告は、極めて自己顕示欲が強く、いわゆる三浦事件について雑誌に手記を発表したり、テレビのインタビューに積極的に応じ、「ブルータス」に自らの裸体の緊縛写真や人生相談を掲載したり、原告の前妻良枝(以下「良枝」という。)との結婚式をテレビ局に同行取材させ、著書「不透明な時」を発表したりするなどしており、正に著名人としての特性を十分に備えているというべきである。

(三) 従って、原告は、そのプライバシーの権利を相当程度まで自ら放棄したものと言わざるを得ないから、本件写真が公表されたからといってプライバシーの権利の侵害を主張できない。

3  公共の利益の法理

(一) 民主制社会は、国民が直接社会の状態を認識し、その意見を形成して社会を動かして行くことを前提としている。報道の自由は民主制社会に不可欠の要素であり、報道機関が社会の出来事を報道するために広範な取材及び編集の自由が保障されなければならない。このように、政治的ニュースのみならず、一般社会のニュースについても、プライバシーの権利は、公けの又は一般の利益になる事柄のいかなる公開も妨げるものではない。そして、犯罪に関する事実の報道は、一般社会における国民の関心事であり、国民の公共の利益に関する事柄であるから、その公開は報道に必要な範囲内で許容されるべきもので、プライバシーの権利は右公開を妨げるものではない。

(二) 本件写真が掲載されるまでの一年八か月余りの間、三浦事件についての報道は間断無く行われてきており、一部マスコミは原告を英雄扱いする倒錯ぶりを示すなど危険な風潮もあったため、被告らは、原告が逮捕されたことを機に、三浦和義という人間の隠された本当の貌の根源は三八年間の足跡に回答があるという認識と編集方針に基づき、本件雑誌において三浦事件を復習すると共に犯罪者としての原告の人格形成にかかわる情報をできるかぎり収集整理して特集記事を公表したもので、国民の知る権利に大いに貢献したものであると自負している。

(三) 本件写真は、三浦事件後の原告の行状を撮影したものであるが、原告が前記刑事事件において「自分は一美を愛していたから妻を殺す動機がない」旨弁解していることに対する反対証拠として重要な意味を有し、極めて高い報道価値を持つものである。さらに、一美が瀕死の重傷を負っているときにいわゆるスワッピングパーティーに参加することに何ら良心の呵責を覚えないという背徳性は、原告の刑事事件における量刑に関する重要な情状事実である。

(四) そこで、昭和六〇年九月一七日に開かれた編集会議において、本件写真の掲載方法について検討した結果、本件写真は、原告の背徳性、自己顕示性、異常性愛癖等を極めて象徴的に示すもので、これは、ナチスドイツにおける強制収容所の虐殺死体の全裸写真に匹敵するものであるとの結論に達し、原告の刑事事件における前記のような本件写真の証拠価値に鑑み、右背徳性等を正確に読者に伝えるため、あえて無修整で掲載することにしたものである。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の事実のうち、本件写真は昭和五八年四月に原告がオレンジパーティーに参加した際に撮影されたものであることは認めるが、右写真を撮影したものが原告主張のような柳沢であることは不知であり、その余の事実は否認する。

2  同2のうち、「疑惑の銃弾」と題する記事が週刊「文春」誌上に連載され、原告がマスコミから取材を受けたことがあることは認め、原告が著名人であることは否認し、その余は争う。

3  同3のうち、(二)及び(四)は不知であり、(三)は争う。

4  原告の反論

(一) 承諾について

原告は、本件パーティー会場にカメラマンが同席して写真撮影を行っていたことなど知らなかったし、被告らの主張するようにカメラマンに向かってポーズをとったこともない。すなわち、原告は、自分の全裸写真を撮影すること、さらにはその写真を性器を無修整で「EMMA」等の雑誌に掲載することを承諾したことはない。

(二) 著名人の法理について

(1) そもそも本件には著名人の法理の適用はない。原告は、被告らをはじめとするマスコミによって原告に関するおびただしい数の記事を書き立てられたために、否応無しに有名人にされるに至ったのであって、原告が自ら積極的に有名人になったわけではない。したがって、政治家や俳優のように自ら有名人になったのではないから、著名人の法理の適用を受ける対象ではない。

(2) 仮に原告が著名人であるとしても、著名人であるからといっていかなる私生活をも無制限に公表してよいわけではなく、おのずから限界があるのであって、本件のように承諾もなく性器を露出した写真を無修整で公表することは、たとえ著名人であっても許されるものではない。

(三) 公共の利益の法理について

公共の利益の法理は、報道の自由が民主制社会にとって不可欠の要素であるからこそ、プライバシーの権利に対する制約原理になるのであって、民主制社会の維持と何の関係もない場合には適用されないものである。本件写真の掲載は、被告らが他の写真週刊誌との熾烈な販売競争の中で、よりショッキングな写真を掲載することによって販売部数を獲得することを目的としたものであって、民主制社会の維持、公共の利益とは何の関係もないから、右の法理は適用されない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因事実のうち、原告が輸入雑貨の販売等を目的とする株式会社フルハムロードの代表取締役であること、被告会社が書籍の出版販売を目的とする会社で、「EMMA」を発行販売していたこと、本件写真が本件雑誌に掲載された昭和六〇年当時、被告松尾が「EMMA」の編集人、被告鈴木が「EMMA」の発行人であり、「EMMA」が月二回発行されていたこと、当時の「EMMA」一回発行あたりの売上高が約一億二二〇〇万円であったこと、被告らが本件雑誌三〇頁に原告の全裸写真である本件写真をその性器部分を無修整のまま掲載し、遅くとも昭和六〇年一〇月一〇日までに本件雑誌を全国各地に約四三万八〇〇〇部販売頒布したこと、被告松尾及び被告鈴木が被告会社の被用者であること、本件写真の掲載が被告会社の職務の執行として行われたことは当事者間に争いがない。

二  原告の人格的利益の侵害について

1  前記当事者間に争いがない事実によれば、本件雑誌が全国的に多量に販売頒布され、本件写真が不特定多数の人々の目にさらされたことは明らかである。

ところで、人は、一般にその裸体を撮影した写真、特に性器部分に修整を施していない写真をみだりに公表されることによって、当該写真が無断撮影されたものであるか否かにかかわらず、不快、羞恥等の精神的苦痛を受けることはいうまでもないから、法的に保護される人格的利益の中には、承諾なしに性器部分を露出した自己の全裸写真をみだりに公表されないという利益も含まれるというべきである。本件写真は、後記のようにいわゆる隠し撮りをしたものではなく、原告がいわゆるスワッピングパーティーに参加した際にその場に居合わせたフリーのフォトライターによって撮影されたその全裸写真であるが、被告松尾及び被告鈴木がこれを性器部分に何ら修整を施すことなく本件雑誌に掲載して公表した行為は、自己の性器部分まで撮影した裸体写真について、一般人がその公表を欲しないことは明白であるから、原告の右人格的利益を侵害したもので不法行為を構成するというべきである。

2  これに対し、被告らは、本件写真は私生活上の事実或いは未知の事実ではない等るる主張しているので、これらの点につき順次判断する。

(一)  まず、本件写真の内容が私生活上の事実にあたるかどうかであるが、そもそも、本件で原告が侵害されたと主張しているのは、前述した意味での性器部分を修整されることなくその裸体写真を公表されないという人格的利益であり、性器部分について修整を施していない本件写真自体が私事性を有することは明らかであるというべきである。

ところが被告らは、本件写真の掲載に至る背景事情を指摘してその私事性を問題としているので、更にこの点について検討すると、〈証拠〉によれば、本件写真が撮影された本件パーティーは、オレンジパーティーと称され、いわゆるスワッピングを目的として、オレンジパーティークラブの会員となった男女が主催者の所有する都内のマンション等に集まって開催されるものであり、原告も一度は断られたものの、結局見学会員として参加を許容されたことが認められる(但し、原告が本件オレンジパーティーに参加したことは、当事者間に争いがない。)。そうすると、本件パーティーは、誰でも自由に参加できるものではなく、一つのいわば閉鎖的集団を構成しているものというべく、構成員たる出席者相互の関係は、劇場やデパートのような場所に不特定多数の人間が偶然その場に居合わせた単なる行きずりの関係とは異なるというべきであり、さらに後記のとおり原告が被告ら主張の著名人であるとしても当然にその行動のすべてが公的なものになるとはいえず、また、他人たる主催者所有のマンションにおける行状ではあっても、そこには特定の会員が出入りすることができるのみで、秘密裡に開催されるパーティーでのそれであって、いわゆるスワッピングの同好者であることは一般人において秘匿を望む事柄とみられることに鑑みると、本件パーティーの私事性を否定することはできない。したがって、本件パーティーにおいて原告の裸体を撮影した本件写真の内容そのものも原告の私生活上の事実に関するものであるというべきである。また本件写真がいわゆるスワッピングを目的とした本件パーティーにおいて撮影されたものであるからといって、直ちに法的保護の埓外になると解することはできない。

(二)  次に、被告らは、原告はいわゆるスワッピングパーティーに参加してカメラに向かってポーズを取っていたのであるから本件写真の公開を欲しないとはいえない旨主張するが、前叙のとおり、一般に、人は、その性器部分を露出した写真の公開を欲しないことは社会通念上明らかであるうえ、後記認定のとおり、被告らの主張するように原告が右パーティーにおいてカメラに向かってポーズを取り本件写真を性器部分に修整を施さずに公表することを承諾したとは認められない。そもそも、本件パーティーのようないわゆるスワッピングパーティーに参加しているからといって、自己の全裸写真の公表に羞恥心を覚えるはずがないとは到底断定することはできず、この点に関する被告らの主張も採用できない。

(三)  また、〈証拠〉によれば、本件写真が既に「週刊大衆」昭和五九年二月二〇日号に掲載されていることが認められ、被告らは、この点を捉えて本件写真が公知の事実である旨主張するが、右「週刊大衆」に掲載された写真には原告の性器部分に修整が施されているのであるから、原告の主張する人格的利益との関係からすると、右「週刊大衆」の写真と性器部分を無修整で掲載した本件写真とを同列に論ずることはできない。したがって、無修整で掲載された本件写真が公知の事実である旨の被告らの主張も採用できない。

(四)  被告らは、修整のうえ掲載された場合に肖像権の侵害にならないものは無修整で掲載されてもその侵害にはならない旨主張するが、かかる主張は独自の見解というほかなく、採用の限りではない。

三  原告の承諾について

そこで、原告が本件写真をその性器部分を無修整のまま公表することについて、事前に明示もしくは黙示に承諾をしていたかどうかについて検討する。

〈証拠〉を総合すれば、本件写真の撮影状況、掲載の経緯及び態様は以下のとおりであることが認められる。

原告は、オレンジパーティーに関する情報誌であるオレンジピープルの広告を見てこれに興味を持ち、昭和五七年六月頃オレンジパーティークラブの事務所を訪ねてパーティーへの参加を希望したところ、同クラブのパーティー主催者から会員制であるから見学会員としてならということで参加することを認められた。原告は、本件写真が撮影された本件パーティー以前にも昭和五七年六月及び一一月に各一回宛同クラブのパーティーに参加した(この間昭和五七年一一月三〇日に妻一美が死亡している。)。

昭和五八年四月一六日、原告はオレンジパーティークラブ主催の本件パーティー出席のため、良技(当時は入籍前。)を伴って、パーティー会場である港区内にある主催者所有のマンションに行った。同所は、テレビとミラーボールと二つほどの電球がついているだけのやや薄暗い部屋で、約一六名の参加者が半裸体で座っており、それぞれ抽象的な表現で職種及び住所地、趣味などを簡単に自己紹介した。当日は、本件パーティーの特集記事のために週刊大衆の依頼を受けたフリーのフォトライターである柳沢の他にはオレンジピープルの主催者側が写真撮影をしていただけで、他の雑誌記者は取材に来ていなかった。柳沢は予めオレンジパーティークラブの代表者である伊吹潤一郎こと貝瀬栄に本件パーティーの取材を申し入れたところ、同人から撮影に使用するカメラは主催者側で用意する小型のカメラを使用し、ゲームをしているところのみ撮影するという取材方法についての制限を受けただけで、撮影自体は拒否されなかった。

本件パーティーの取材に当たり、柳沢は週刊大衆の名を挙げず単に「取材に来ました」と挨拶し、主催者も「今日はフラッシュをたいた撮影があります。」と紹介したが、柳沢の取材目的についての説明はしなかった。しかし、柳沢は、オレンジパーティーの写真を以前にも週刊大衆に掲載したことがあるが、いずれの場合も顔や性器部分を修整しており、本件パーティーにおいても、主催者や参加者との間で、撮影された写真が顔に目線も入れず、性器部分に修整が施されないまま一般雑誌に掲載されることはないという暗黙の了解が前提になっていると認識していたのであり、したがって同人は撮影の都度被写体となったパーティー参加者に対して承諾を求めることはせず、前記小型カメラでフラッシュを用いて合計七〇枚近くの写真を撮影した。なお柳沢は、当時、本件パーティーに原告が参加しているという理由で取材をしたのではなかった。

被告松尾は、原告が逮捕されたのを機に、原告が極めて現代的でグロテスクな人物であり、原告の被疑事件は社会的にも大事件で国民の関心事であると考え、直ちに「エンマだから公開できる隧三浦和義黒い足跡全記録」と題する原告の人間性に関する特集記事を組むことを決定し、原告の生い立ちからその当時までの写真等の資料を収集することにし、既に週刊大衆昭和五九年二月二〇日号に掲載されていた本件写真を週刊大衆から借用することにした。

ところで、従前オレンジパーティーの記事を掲載したオレンジピープルや週刊大衆は参加者の写真の顔に目線を入れず、性器部分を無修整で掲載したことはなかったものであり、そこで、週刊大衆は被告会社に本件パーティーの写真を貸し出す際、被告松尾から、記事の中で週刊大衆の撮った写真であることを明示し、性器部分に修整を施す旨の約束を取り付けた。

本件写真は、本件雑誌の全三五頁にわたる前記特集記事のうち、見開き三〇頁・三一頁の部分の「″疑惑人″の意外な顔合わせ。良技夫人の″見事″な脱ぎっぷり」と題する記事の三〇頁部分の上段、中段にA四版の頁全体の三分の二近くを占めて掲載されたもので、原告が他のパーティー参加者と共に性器部分を含め全く無修整のまま全裸体で撮影されており(他のパーティー参加者については顔の部分に目線が入れられ、性器部分は修整が施されている。)、「五八年四月一六日、良枝さんと共に乱交パーティーに出席。一美さんが息を引きとってから五カ月しか経っていない。しかも、隣りにはナゼか白石千鶴子さんの前夫の姿が……」とのキャプションが付され、下段には、同様に他のパーティー参加者と共に良技の全裸写真(性器部分のみ修整が施されている。他のパーティー参加者については前同様。)が掲載され、三一頁には頁のほぼ全体を使用して、原告と思わせる人物と良技(顔の目線なし)の全裸写真(他のパーティー参加者については前同様。)が、「良枝現夫人と仲むつまじいところをみせる」とのキャプションを付して掲載され、それと共に「乱交パーティーも自分が真面目だからと思っている。好奇心を素直に表現するから真面目なんだ。」という原告の語録と思わせる記載を掲げている。また、三〇頁の本文中では、「週刊大衆に掲載された「三浦和義氏、″愛妻の死″直後の乱交パーティー」のこれらの写真は、ある意味で、どの写真よりも雄弁である、といえるかもしれない。すなわち、三浦和義とはこういう男なのであり、こういう写真が出てきてしまう男でもあるのだ、と。「良技さんが首から下げている金のペンダントは、一美さんのものだった」であるとか、「三浦の隣りの男は、千鶴子さんの前夫である」という、とんでもない事実が、これらの写真から確認された。当時、いや現在でも同じかもしれないが、識者によって″マスコミの行きすぎ″や″人権侵害″が攻撃され、火つけ役の週刊文春はそのたびに引きあいに出された。これらの写真が出た時、この事件に関してだけいえば、「人権」という言葉が、やけに空疎に響き、事件全体が、なぜか安っぽくなっていくのだった。」との記載がある。

被告会社が週刊大衆との前記約束を無視して右のように性器部分も無修整で本件写真を掲載したため、柳沢は人権侵害問題になることを憂慮し、被告会社に対して抗議した。これに対し、被告会社は、前記約束を無視したことを謝罪し、本件写真に関する一切の責任は被告会社が負う旨の「お詫び」を「EMMA」昭和六〇年一〇月二五日号に掲載した。

被告松尾は、本件写真を無修整で掲載するかどうかについて編集会議を開いて検討した際、原告が、本件写真が週刊大衆昭和五九年二月二〇日号に掲載された頃はまだ疑惑の人であったが、本件雑誌に掲載を予定したときは既に刑事事件の被疑者として逮捕されており、本件写真は、原告のグロテスクで背徳的な人間性を象徴的に表したものであり、犯行の動機について原告が一美を愛していたから殺害するはずがない旨弁解していることに対する反証として、さらに量刑に影響する情状としても重要な写真であること、本件写真には猥褻性や人格的利益を超越した報道価値があり、性器部分に修整を施すとその報道価値が減殺されることなどを総合考慮した結果、原告からは無修整で掲載することにつき明示的に承諾を得ていないが、あえて無修整で掲載する旨の決定をしたとしている。

原告は、本件雑誌が発行されてから一、二か月後に、良枝から本件雑誌に原告の性器部分に修整を施すことなく本件写真が掲載されたことを知らされ、右掲載について、被告会社に対して内容証明郵便をもって慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載を求めた。尤も本件写真は、本件以外にも性器部分に修整を施したうえで、他の雑誌やテレビで多数回にわたり公表されているが、原告はこれらに対しては抗議したり法的手続を採ったりはしていない。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果中には、本件パーティーにおいてカメラマンの紹介はなかったし、カメラマンがいたことなど全く気付かなかった旨の供述部分があるが、右供述部分は、前記認定のような柳沢が「取材に来ました。」と挨拶をしたうえフラッシュを用いて七〇枚近くの写真を撮影した事実に照らして採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

そこで、以上の認定事実に基づけば、柳沢は撮影に際し「取材に来ました。」と述べたのであるから、原告は同人がオレンジピープル以外の一般雑誌に掲載することを目的として撮影にきているカメラマンであることを察知し得たといえなくもない。しかしながら、柳沢は、本件パーティーの撮影に当たり、主催者及び参加者との間で、これまでどおり撮影した写真を公表する際は顔に目線を入れ、性器部分を修整するという暗黙の了解が前提になっていると認識していたのであるから、右パーティーの参加者らにおいても、当然、撮影された写真が修整されずに公表されることはないと考えていたものと認められる。そして参加者の中で原告だけが当日撮影された写真が無修整で一般雑誌等に公表されることもあるということまでも認識し、これを承諾していたと認めるに足りる証拠はないのであるから、原告が右写真が修整されずに公表されることを承諾していたと認めることはできない。また、本件写真を無修整で公表するということを原告から明示的に承諾を得ていなかったことは被告松尾も自認しているところである。なお、被告松尾本人尋問の結果中には、本件雑誌に先立って週刊大衆に掲載された本件写真については原告が何ら抗議をしていないことから本件雑誌に掲載するについても原告が黙示に承諾しているものと判断した旨の供述部分があるが、修整された写真の掲載に対して抗議がなかったことは、無修整の場合の承諾を推定する一材料に全くならないではないが、全裸写真が性器部分について修整が施されずに一般雑誌に掲載されることは社会通念上予想し難いことであるから、原告が前記週刊大衆等の修整された写真について抗議の法的手段を講じなかったとしても、そのことから直ちに本件写真が無修整で一般雑誌へ掲載されることについてまで黙示にせよ承諾したと認めることはできないというべきであり、他に原告の承諾の事実を認めるに足りる証拠はない。

四  著名人の法理について

被告らは、原告は著名人であるから本件写真につき権利侵害を主張できない旨主張する。

確かに、自己の業績、生活態度などにより、または、その行為、性格に対して大衆が関心を持つことが至当とされるような職業、例えば公職に就いた者、芸能人などはいわゆる著名人となり、みだりに私生活を公表されない人格的利益を一定限度放棄したものと評価されることがあり、私生活の一部が国民の正当な関心の対象となって右の人格的利益の侵害を主張できないこともあるとする被告らの主張は一般論としては必ずしも妥当性を欠くものということはできない。

ところで被告会社発行の週刊文春が昭和五九年一月から「疑惑の銃弾」シリーズと称して、昭和五六年一一月原告の妻一美がロサンゼルス市内で何者かによって銃撃され、その後植物人間となって死亡した事件等一連の事件について、同誌上に原告を右一連の事件の犯人とする特集記事を連続して掲載したことを発端として、他のマスコミもいわゆる「ロス疑惑」、「三浦事件」などと称して連日のように原告と右事件をめぐる報道を繰り広げ、これが一つの端緒ともなって、捜査機関の捜査が進み、昭和六〇年九月一一日、原告が昭和五六年八月矢沢美智子と共謀のうえロサンゼルス市内のホテルで一美を殺害せんとして未遂に終わったとする被疑事件で逮捕され、同年一〇月三日、原告が、東京地方裁判所に右事件で起訴されたことは顕著な事実である。したがって、原告は、被告ら主張の「著名人の法理」にいう著名人に直接あたるか否かはともかくとして、本件写真の掲載当時、原告の名と前記事件が国民一般に広く知られるところとなっていたということができる。

しかしながら、仮に著名人の法理を前提として考えても、著名人といえども私生活の平穏を享受する権利を有しているのであるから、全面的に右私生活の平穏をめぐる人格的利益が保護されないわけではないことは勿論であり、そのことは、原告の場合も例外とはいえない。民主制の根幹である知る権利の要請から私生活についても相当程度の公開を余儀なくされる政治家、公職の立候補者等であっても、無制限にその公開を甘受しなければならないわけではなく、少くとも最低限の私生活の平穏、特に性器部分を露出した写真をみだりに公開されない人格的利益を保護されることは疑いを入れない。そうすると、原告が当時前述したとおり刑事事件の被疑者・被告人として報道の渦中の人であったものとしても、右人格的利益は当然保護されるべきものであるところ、本件は、原告の全裸写真をその性器部分に何ら修整を施すことなく相当の販売部数を持つ一般雑誌に掲載して公開したものであるから、原告がその私生活の公表を甘受しなければならない場合に該当するものではないことは明白である。

よって、原告が著名人であることを理由とする被告らの主張は採用できない。

五  公共の利益の法理について

前記認定のとおり当時原告の被疑事件が国民一般の広く知るところとなり関心の対象となっていたことは否定できず、被告松尾本人尋問の結果中には、前示のとおり当時原告が殺人未遂事件で起訴され、更に保険金目的殺人事件でも起訴されることが予想されていたところ、右未遂事件の公判において、一美を愛していたから殺害の動機がない旨の原告の主張に対して、一美の死亡の前後にわたって良枝を含む複数の女性とオレンジパーティーに参加していたことは、原告が殺害の動機を否定することに対する反証にもなり、かつ量刑に重大な影響を持つ情状に関する事実であるから、原告の全裸写真を性器部分に修整を施さずに掲載したほうがより原告の人間性を的確に表現できると判断して本件写真の掲載を決定した旨の供述部分がある。確かに、本件写真を公表する目的が原告の刑事事件における動機及び情状に関する事実の報道にあるとすれば、本件写真は、公共の利益に関する事実を一部含んでいるとも言えよう。

しかしながら、公共の利益に関する事実であるからといって、いかなる公表方法や程度であってもその違法性を阻却するというわけではなく、右公表方法や程度はその目的達成に必要かつ十分なものでなければならず、それが相当性を欠く過度な方法や程度に至る場合には、公共の利益に関する事実の公表であっても人格的利益の侵害に対する違法性を阻却しえないものというべきである。

そこで、原告の刑事事件についての動機、情状に関する事実の公表として本件写真の公表方法が必要かつ十分で、相当なものであるといえるかどうかを検討すると、本件写真が性器部分を無修整で公表したものであり、そのことにつき原告が承諾していないこと、被告らは、原告の起訴に合わせて原告のグロテスクな人間性を明らかにするための特集を組み、本件写真もその一環として掲載したこと、右掲載にあたっては、編集会議を開き、原告のグロテスクな人間性をより的確に表現するためには無修整の方が良く、修整して掲載したのでは報道価値が下がると判断して本件写真を無修整で掲載する旨の決定をしたことは前記認定のとおりである。

ところで、全裸写真に修整が施されているか否かで読者の受ける衝撃の大きさに違いがあることは否定できないが、一美が生死の境をさまよっている間から死亡直後にかけて、他の女性を伴っていわゆるスワッピングパーティーである本件パーティーに原告が参加したという事実そのものを明らかにして殺人未遂事件の動機及び情状に関する情報を提供するという被告らの報道目的に照らすと、全裸写真に修整を施して掲載することによっても十分に報道目的を達成することができると言わざるを得ない。むしろ、被告らの右報道目的からすれば、性器部分を無修整で掲載することには、公表方法として何ら必要性も相当性も認められないというべきである。なお、被告松尾本人尋問の結果中には、原告が起訴された時点でそれ以前の原告と画然と次元が違ってきた旨の供述部分があるが、原告が刑事被告人になったことによって本件写真の公表目的としての公共性が若干強くなったとはいいうるが、だからといって右報道目的達成のための本件写真の公表方法についての必要性及び相当性に関する前記判断を変更する理由とはなり得ないものというべきである。

よって、無修整のままの本件写真の内容が公共の利益に関する事実である旨の被告らの主張は、理由がない。

以上のように、違法性阻却事由に関する被告らの主張は、いずれも採用することができない。

六  被告らの責任について

被告松尾は本件雑誌の編集人として、同鈴木は本件雑誌の発行人として、いずれもみだりに個人の全裸写真を性器部分を無修整で掲載してその人格的利益を侵害することのないようにそれぞれ注意する義務を負っていると言うベきであるところ、右両名は、右義務に違反してあえて本件写真を掲載する行為に及んだものであって、右行為が不法行為に該当することは前述のとおりであるから、民法七〇九条、七一九条に基づき原告の蒙った損害について、連帯して損害賠償の責任を負うべきである。

そして、被告松尾及び同鈴木が被告会社の被用者であり、右不法行為が被告会社の事業の執行につきなされたことは前示のとおり当事者間に争いがないから、被告会社は、被告松尾及び鈴木とともに民法七一五条に基づき原告の蒙った損害について、連帯して損害賠償の責任を負うべきである。

七  原告の損害について

1  先づ、原告の蒙った精神的損害及びその慰藉料額について検討するに、本件雑誌の発行部数(約四三万八〇〇〇部)に照らしても、本件写真は原告の承諾のないまま広範囲にわたって販売頒布され、多数の国民の知るところとなったというべきである。そして、原告本人尋問の結果によれば、原告は一般に広く販売される本件雑誌に本件写真が公表掲載され、しかもそのため本件写真が将来長期間にわたって残ることから、強くショックを受けたこと、本件写真の公表により原告の家族は非常に困惑したことが認められるから、原告は本件写真の掲載によって精神的苦痛を蒙ったと認められる。なお〈証拠〉によれば、週刊誌「ブルータス」昭和六〇年一一月一日号に原告の緊縛裸体写真(但し性器部分には下着用のものが着けられている。)が掲載されていることが認められるけれども、右は本件とは全く別個のものであるから、これによって原告が本件写真の掲載によって精神的損害を受けなかったということはできない。

他方、被告らが本件写真を公表した目的は前記のように原告の刑事事件についてその動機及び情状に関する重要な事実として報道することにあったのであり、右掲載目的に鑑みると、その掲載方法が無修整である点においては非難されるべきであるが、修整を施していれば右目的のための相当な手段として許容されうる余地もあると解され、また本件写真は本件雑誌に掲載されるまでに、修整されたものとはいえ週刊大衆昭和五九年二月二〇日号をはじめとする各種雑誌、テレビ等にも報道され、既に多数回国民の目に触れていたこと、その他本件記事の内容等本件にあらわれた諸般の事情を総合勘案すれば、原告の前記精神的苦痛を慰謝するためには、金九〇万円の慰謝料の支払いをもって相当と認める。

なお、原告は、慰謝料の請求に併わせて謝罪広告の掲載を求めているが、前記諸般の事情を総合すれば、原告に対する名誉回復の措置としては、右慰謝料の支払いをもって足り、それに付加してなお謝罪広告の掲載を命ずる必要はないものというべきである。

2  原告が本件訴訟の追行を原告代理人林浩二、同樋渡俊一に委任し、報酬の支払いを約したことは、弁論の全趣旨から明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額等に照らして、本件不法行為と相当因果関係を有するものとして被告らに請求しうべき弁護士費用の額は、金一〇万円と認めるのが相当である。

八  以上によれば、原告の本訴請求は、被告らに対し連帯して右慰謝料及び弁護士費用の合計金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日であることが明らかな昭和六〇年一〇月一〇日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大喜多啓光 裁判官 小澤一郎 裁判官 相澤眞木)

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